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創設者Coco Chanel(本名をGabrielle Bonheur Chanel:ガブリエル・ボヌール・シャネル)は、1883年フランスのソミュールに生まれる。1910年ココ・シャネルは、「シャネル・モード」という名でパリのカンボン通り21番地に帽子店をオープン。シンプルなつくりの帽子は多くの注目を集めた。1913年リゾート地ドーヴィルに第1号のモードブティックを開店。1915年ビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンして、ココはオートクチュールのデザイナーとして本格的にデビュー。1916年第1回シャネル・オートクチュール・コレクションを発表。当時コルセットで身を固めていた女性に、安くシンプルで着心地がよく、無駄のない、ジャージー素材を取り入れたドレスが話題となる。1921年本店をカンボン通り31番地に移転。シャネル初の香水「N°5」を発表。 脂肪族アルデハイドを大胆に使用した香調で話題となる。「N°5」は試作品番号であり、彼女が5番目のサンプルを取り上げたとき、これが生まれた。調香したのはエルネスト・ポー。 その後も、喪服でしか使われなかった黒い服を「リトル・ブラック・ドレス」として発表したり、「本当の大地の色」として、ベージュを好み20年代にはジャージのスーツに織り込まれ「ベージュの女王」とも呼ばれる。肌の色とベージュをつなげて脚を長くみせ、つま先は傷や汚れを目立たせないよう足元を締める黒で覆ったバイカラーシューズなども発表。紳士ものであるツイード素材を女性用スーツに仕立てるなど数々の斬新なアイデアを生み出した。1924年人造宝石のアクセサリーを提案。1932年プラチナとダイヤモンドだけを使用したハイジュエリーコレクションBijoux de Diamantsをマネキンにつけて発表。20年代から30年代にかけて、活動的になった女性の支持を得て、ココはクチュールの女王となる。しかし、1939年、第二次世界大戦の勃発とともに、香水とアクセサリーのブティック以外の全店を閉鎖し、クチュール界から引退する。戦中から戦後の15年間の中断期間を経て、1953年、70歳になったココはかつての助手たちに「今すぐ、来るように。私たちはあと10年しか働けないのだから」と電報を打つ。1954年閉鎖店舗が復活。カンボン通りの店を再開し、オートクチュール・コレクションも復活させる。1969年リーベルマン・ウェルシェリー社により、シャネル製品の日本での輸入・販売を開始。1970年香水「N°19」を発表。調香したのはアンリ・ロベール。1971年住居としていたホテル・リッツで、ココ・シャネル死去。 1975年には口紅を発表したものの、ココの死後シャネルは低迷する。その後、1983年にカール・ラガーフェルドがデザイナーに就任。ココのスタイルを守りながら、時代の空気を取り入れた新しいシャネルを提案し、ブランドとしての再興を果たす。1980年日本でシャネル株式会社設立。1987年時計をコレクションに加える。ウォッチ第一作目は八角形ケースの「プルミエール」。シャネルN°5の香水ボトルのストッパーやヴァンドーム広場の形にインスピ
レーションを得ている。第1号のウォッチ・ブティックをパリのモンテーニュ大通り40番地にオープン。1990年2番目のウォッチブティックがパリのヴァンドーム広場7番地にオープン。1993年先駆けとなった1932年のモデルの復刻版と新しいクリエイションによりシャネルファインジュエリーを発表。1994年シャネルブティック本店(銀座並木通り)を開店。1996年開店当時日本最大店舗として大阪・心斎橋店を開店。シャネルの女性用フレグランスとして5番目となるアリュール誕生。シャネルの「ネ(鼻)」と呼ばれるジャック・ポルジュが創り上げた。1997年ココ・シャネルが住居としていたリッツの正面、ヴァンドーム広場18番地に、ファインジュエリーウォッチブティックをオープン。2000年初のメンズウォッチ(ユニセックスウォッチ)「J12」を発表。デザインはシャネルのアートディレクターである、ジャック・エリュ氏。2001年日本最大の売り場面積を誇る東京・表参道店を開店。2003年ショコラウォッチ発表。2004年カメリアコレクション&1932ウォッチを発表。 2004年12月、銀座3丁目に銀座シャネルビル・旗艦店を開店。銀座シャネルビルは、2003年7月に店舗と本社機能を兼ねた新ビルとして着工。ビルのデザインはニューヨークの建築家、ピーター・マリノが手がけ、高さ56メートルの10階建て。外観には発光ダイオード、ステンレススチール、特殊なクリスタルグラスを散りばめ、縦横に光沢を放ち、ブランドを象徴するツイードを模したものとなる。建物は全10フロアで、1-2階がブティック、3階にV.I.P.サロン。4階は各種イベントを開催する多目的ホールで、5-9階がオフィスフロア10階にアラン・デュカスのレストラン「ベージュ・東京(BEIGE TOKYO)」。地下が駐車場。レストラン「ベージュ・東京」はシャネル日本法人とアラン・デュカス率いるグループ・アラン・デュカス社の合弁会社。ココ・シャネルが愛したベージュ色を基調に洗練された内装に椅子はツイード。スタッフの制服は黒のニットにスニーカー(夜はエナメル靴)で、カール・ラガーフェルドが手掛けた。